1/15 米澤穂信「リカーシブル」

こんばんは。きりんです。

 今日は軽めのブックレビューなんかをしたいと思います。第一回の本日は米澤穂信「リカーシブル」です。  

 

リカーシブル (新潮文庫)

リカーシブル (新潮文庫)

 

 

 

 

 

書き終わってみたら長くなってしまいました。長い文章アレルギーの方は最後の画像だけでも見てってください。

 

 

 

推理モノなので、トリックやネタバラシはできるだけ控えるようにいたしますが、まっさらな状態で読みたい方はそっ閉じして下さい。

 

 

 

私を含め、だれでにも「中学生時代」はあったと思います。毎日が楽しい中学生時代、「中学生男子」と書いて「世界一馬鹿な生き物」と読むことすらあるくらい、アホアホな時代ですよね。いやぁ…若かった…。

 

 

ですが、中学生時代は同時に非常に敏感な時期でもあります。なにが敏感かって?言えませんよ…

 

 

 

 

 

いまの無しで

 

 

 

 

 

 

中学生時代は非常に敏感で繊細です。おそらく、アホな中学生時代を過ごした人と同じくらいの割合で、自意識に押しつぶされそうになった人もいるんじゃないでしょうか。自分の周囲の環境に納得できずに、馴染めなかった人もいるでしょう。理不尽、とか、そんなことを考え始めるのもこの時期なんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

「リカーシブル」では、中学生の女の子が主人公です。彼女の生きる環境はとても幸福とは言えません。むしろ不幸です。だれが読んでも不幸だと言うでしょう。しかし彼女は折れません。折れません、が、この主人公は反発しているとか、希望を持っているとかではなく、完全に諦めています。そういうものだから仕方ない、というように諦めてます。諦めているが故に折れないのです。なにもないから、折れようがないのです。

 

 

 

文章内では常に不穏な空気が漂っています。もし例え、晴れているという描写があっても、信じらんねぇくらい不穏です。「甲高い声」「寂れた商店街」などなどの場面や、描写が、より一層その空気を強くします。

 

 

 

推理ものなので、当然の如く事件が起こります。そして、その課程で主人公の女の子にも変化が起きます。何もないから折れなかったと思っていた女の子にも、最後の支えがありました。しかし、それも折れました。それがあったから受け流せていたのだと、女の子もようやくその時気がつくのでしょう。

 

 

 

女の子は、薄々感づきながらも、受け流していたその事件に、自ら突き進んでいくことになります。自分にも「あったもの」に気がつき、それを守るために危険に飛び込みます。

 

 

 

 

「リカーシブル」は思春期の少女が、自分の意思で生きはじめる物語です。なにもしなくても、どんな状況でも、きっと生きていくことはできるのでしょう。現代日本ですし、なんだかんだ生きてはいけるのかもしれない。しかし、起こる出来事をただ受け取るだけで生きることと、自分から、何かを壊してでも何かを得るために進むこと、どちらが生きていると言えるのでしょうか。どちらが幸せなのでしょうか。「リカーシブル」を最後まで読んで、女の子の変わりようを見たら、もしかしたらヒントが見つかるのかもしれません。

 

 

 

長くなりました。要はこれが言いたかった。

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終わります。読んで下さった方、ありがとうございます。ゾンビにはなりたくないきりんでした。それでは。