4/22 まどまぎ、叛逆①

こんばんは、きりんです。まどマギ劇場版をようやく見ましたので考察を書いていきたいと思いますん。




粗筋は飛ばします。物語としての出来は、ラストは賛否巻き起こったものの非常によくまとまとまっていて、とても面白い作品なので見ていない人は見ましょう。損はしないと思います。




以下、ネタバレを多く含みます。ご注意下さい。


さて、僕は個人的には「叛逆」はハッピーエンドだろと思う側です。

TV版では、ほむらの目的は「最終的に魔女になってしまうまどかを救う」ことでした。ほむらは何度も時空を超え、何人ものさやかの死を経験し、マミさんの死を経験し、そうまでしても結局まどかを救えない無力感に苛まれていたことと思います。そんなほむらでしたが、TV版の最後では結局まどかを救うことはできませんでした。まどかはその身を挺して「魔法少女の魔女化」をとめることには成功しましたが、結局まどか自らが「円環の理」になってしまったために「概念」になってしまいました。



まどか的には自らの決意のもとに行った行動ではあれど、ほむらの目的が達成できたとは思えません。ほむらの願いはまどかと一緒にいることなのですから、まどかが概念になってしまっては元も子もないのです。それに、魔女化であれば時空を超えることで別の機会に可能性を委ねることもできましょうが(その可能性がゼロに限りなく近くとも)、相手が概念になってしまってはなにも手出しができません。まどかの一人逃げ、みたいな状況ですね。ほむらはまどかの自己犠牲に対して、口も手も出せなくなってしまったわけです。



簡単に恋人同士に置き換えて考えてみましょう。片方が片方に負担をかけているという理由で一方的に別れを告げられ、着拒のコンボです。残された側はどうしますか?負担をかけられていたのが事実だとしても、「うーん、、、」ってなっちゃいませんか?




「叛逆」でほむらは、まずインキュベーターに、まどかを呼び出すための餌にされた自分を殺そうとします。これはまどかがインキュベーターの狙い通りに自分を助けに来て、そこで「円環の理」の力を使うことで、その力がインキュベーターに解析される事を恐れたからです。インキュベーターは解析ができれば制御ができる、と言っていました。魔法少女はもともとインキュベーターの管理下にありましたが、「まどか=円環の理」という概念が生まれたため、魔法少女インキュベーターの管理下を離れることができていました。しかしここで、「円環の理」が解析され、まどかという概念までもがインキュベーターの管理下になってしまったら、まどかは概念になり損なわけです。「円環の理」が生まれる前のシステムに戻ってしまうため、まどかの犠牲がなんの意味もなくなってしまいます。それはほむらとしては最悪なパターンです。




ですが「円環の理」の一部であったさやか達の助けにより、、、







続きは次回にしようかと思います、なんだかんだ長くなってしまいますね。就活が大変で最近寝れないきりんでした、大変っていっても精神面。それでは。