5/24 そして2人だけになった?

こんばんは、きりんです。今日は書くことがなにもないというか日中頭を回転させすぎたせいかめちゃめちゃな量の文章を読んでいるせいかもうダメです、つまり書くことがないです。あ、ひとつありました。






最近読んだ小説について書けそうなので書きます。森博嗣さんの「そして二人だけになった」です。レビューにネタバレを含めず書くことがどうしてもできないので以下当然のようにネタバレ含みます。すみません。








ミステリーです。「盲目」の天才という登場人物と、「双子」の登場人物がいるのですが、このワードだけでミステリー好きはいくつかのトリックが思い浮かぶのではないでしょうか。例えば、首が持ち去られた死体が思っていたAではなくBで、実はAが生きていて犯人でした、とか、車椅子の登場人物は実は歩けたので、階段の上の人物も1人で殺しに行けました、とか、そういったある種古典的な類のものです。






正直、こういった正統派ミステリの多くは既存のいくつかのトリックの組み合わせによって成り立っています。全く新しいトリックの創造は、環境をあり得ない状況に限定しなくては作れないのではないでしょうか。

話は逸れますが、それゆえに新しい概念や、概念そのものをなかったことにする、魔術や呪いが使われるとんでもミステリーも僕は好きです。

さらに余談ですが僕は叙述トリックを始めて読んだ時ものすごく感動してしまいました。ウソだろ…となりました。

いくつか叙述トリックの素晴らしいミステリ本をあげて、それについて書いていたのですが、この本は叙述トリックだよってそれは絶対に言っちゃいけないことですね、やめます。ミステリファンに殺られる。






そう、トリックの組み合わせです。「そして二人だけになった」は、上手く、絶妙に上手く組み合わされていると思いました。もちろん、使われているトリックの幾つかは思いつきます。大体の全体像も把握することができました。森博嗣ならこうしそう、というメタ読みのようなものでしたが。しかし、最後でいつもの「天才」にやられるとは思いませんでした。





そして最後の天才のおかげで僕はなにが真実かわからなくなりました。





と、いうより、この「そして二人だけになった」はそもそも「真実とは観測者の立場によって左右される」という1つのテーマに貫かれているので、おそらくこれが森博嗣がしたかったことで、答えなのだと思います。と、思い込むことにします。




ひとつ思ったこととして、ここまで複雑にする必要があったのだろうかってことです。いやミステリーにそれを言ったらおしまいなのかもしれませんが、ここまで複数のトリックを入れてくることに何かしらの意味があるのではと疑ってしまいます。今は思いつきませんが…。




読んだことがある人にはわかっていただける感想になったのではないでしょうか。僕はあと、「そこまで完璧に揃えることってできんの?」って無粋なこと思いました。でも久しぶりに読んだ森博嗣は面白かったです。





すべてがFになる」の犀川先生をかっこいいかっこいいと常々思っている僕ですが、かっこよかった場面をあげろと言われてもあげられないことに気がつきました。考え方が格好いいんだと思う、たぶん。きりんでした、それでは。